10年少し昔になるか、「xxx白熱教室」というタイトルで大学の授業内容を書籍やテレビ番組化したものが人気を博しました。
管理人もミーハーなもので、いくつか読んだり見たりしたものです。
今回の投稿は、久しぶりに本棚の整理をしていた中で見つけた「ハーバード白熱教室講義録」が改めてよい本であったため、紹介したいと思います。
「ハーバード白熱教室講義録」の概要
本書は、早川書房から刊行されているマイケル・サンデル ハーバード大学教授の講義模様を書籍化(上下巻)したものです。
もともとはNHKで放送された「ハーバード白熱教室」がベースになっています。
サンデル教授は政治哲学を専門とし、本書以外では、「これからの正義の話をしよう」が著名です。
本書の内容は、哲学をメインに「正しい殺人はあるのか」「課税は正しいのか」などを具体的なケースを提示しつつ、学生のとの対話を通じて解説しています。
だれしも、身近でありながら深くは考えたことがない事柄に対して、学生のとの対話を通じ「なぜそう考えるのか」やこれまでの学問としての考え方を追うことができます。
複数の学生との対話形式で記述されているため、読者はいずれかの学生の立場になって読み進めることができ、内容を非常に理解しやすい構成となっています。
本書では、各テーマにおいてかつて研究を進めた研究者の理論を紹介しており、それらが現代社会における考えに与えている影響を垣間見ることができます。
また各研究者の様々な考え方に触れることで、いずれかは読者自身の考えと近い研究体系を見つけることができます。
本書は次の全12回の講義からなります。
- 第1回:殺人に正義はあるか
- 第2回:命に値段をつけられるか
- 第3回:「富」は誰のもの?
- 第4回:この土地は誰のもの?
- 第5回:お金で買えるもの 買えないもの
- 第6回:なぜ人を使ってはならないのか
- 第7回:嘘をつかない教訓
- 第8回:能力主義に正義はない?
- 第9回:入学試験を議論する
- 第10回:アリストテレスは死んでいない
- 第11回:愛国心と正義 どちらが大切
- 第12回:善き生を追求する
いずれも面白いですが、2022年現在で読んで面白いのはお金に関することだと思います。
したがって今回の投稿では第3回を取り上げてみたいと思います。
また昨今、自己責任論や自助といった言葉が強く取り上げられるため、能力に関連した下巻の第8回を取り上げたいと思います。
刊行当初の2010年くらいなら、いまより社会的な余裕があったころだと思いますので、第1回などが人気が高かったと思います。
思考ポイント:上巻第3回「富」は誰のもの?
「自分自身を所有しているのは自分」を進めると「課税」が正しくなくなる?
この回では、「リバタリアニズム(自由原理主義、市場原理主義)」について考えています。
リバタリアニズムは、簡単に言うと個人の権利至上主義です。
この考えに基づくと、国家が行っている「富者から貧者への富の再分配」は間違っていることになります。
簡単いうとお金持ちから課税で徴収して、貧しい人に援助する事が間違え、という主張です。
この考えでは、国家であろうとなんだろうと個人が稼いだお金を徴収するのはある種の強制であるため、認められないことになります。
そして、こういった強制を課して個人のお金を取り上げることは「盗み」とまで主張しています。
そして徴収によって、お金が盗まれるということは個人の労働の対価を盗んでいるということであり、これは個人に強制労働を強いているとまで展開します。
日常の認識との違和感
ここまできてどのように感じたでしょうか。
少なくとも管理人は言い過ぎだと感じました。
しかしロジック上はそのような展開になっても仕方がありません。
ではこのロジックは正しいのか、今の社会制度として機能している課税は不正なのか。
読み進めると、それがわかってくると思います。
「自分を所有するのは自分」は何かが間違っているのか
リバタリアニズムの根本は、「自分を所有するのは自分である」というものです。
一見すると、しごく正しいように思えます。
しかし、この考えを基に進めると先ほど書いたように、課税は不正ということなります。
ではいったい何が間違っているのか。
実はこの回では、答えが出ません。
次の第4回で「自分を所有するのは自分である」という当たり前に見える前提が本当に正しいのかを切り込んでいくのです。
当たり前に思っていたことの正しさの理由
いかがだったでしょうか。
「自分を所有するのは自分である」という考えは誰しもが持つ当たり前の認識で正しいように思えます。
しかし、これが絶対の正しさだとすると、これまた普通に行われている課税は正しくないことになります。
こういった当たり前と考えていることの裏側に迫っていく感じが本書の醍醐味だと思います。
興味がある方は是非ご自身で読んでみてください。
思考ポイント:下巻第8回能力主義に正義はない?
「無知のベール」の向こう側では不遇な環境におかれた時の保険としてみな安全策を選ぶ
第8回は能力主義について考えていきますが、テーマとしてあるのはやはり富の分配です。
現在の社会では能力に応じた報酬が認められていますが、能力の結果得る報酬が正しいかをこのセクションでは考えています。
能力に応じた報酬を考える前に、このセクションではジョン・ロールズの「無知のベール」を導入・解説しています。
この無知のベールの向こう側では、何人も誰であるかお互いに知りません。
こういった状態では、ひとびとはいざ「不遇な環境であった時に困るため」に平等な基本的自由に合意する、と説いています。
最も恵まれない人々の便益になる不平等だけが認められる「格差原理」
ロールズは、不遇な環境であった時に平等な基本的自由をよりさらに進めた考え方として「格差原理」を提示しています。
これは、最も恵まれない人々の便益になる社会的・経済的不平等だけが認められる、という考え方です。
すべての不平等を拒否するわけでなく、ある部分だけを認めます。
不平等は最も恵まれない人々の便益になるか、に照らして正しさが決まります。
能力主義を認めるとき、公平で平等なものは何か
ロールズに主張によれば、能力主義は「格差原理」に照らして正しさを判断します。
この時の公平さや平等かどうかといった判断は、まず封建制などに代表される生まれながらの家柄など「社会の偶然性」に左右されない必要があります。
さらに、ロールズは生まれながらの才能なども不平等であるといっています。
しかし、これは確かに存在する物であり、排除がきわめて困難です。
したがって、ロールズはこの不平等を認める代わりに、最も恵まれない人々の便益になることを条件にしています。
このセクションでは、格差原理に対する「インセンティブはどうなるのか」「努力への考え方はどうか」「個人を所有するのは自身」という反論への回答も載っています。
能力に応じて働いたものの対価としての報酬が、少なからず恵まれない人々のため持っていかれてしまうことが正しいのか、という問いへの答えになります。
果たして能力主義が正しいのか、ぜひご自身でご一読ください。
あとがき
本書を読むと読者が持っていたおぼろげな信念や倫理感は、「哲学上のこの理論と同じだ」と理解されその理論をさらに学ぶことで強固なものとなります。
その信念や倫理観は、いつか自身が人生において決断をするときに良い指針となります。
ぜひ興味を持たれた方は読んでみることをお勧めします。
あなたの正義はどこにあるかがわかってくると思います。
管理人は昔から「無知のベール」の考え方が好きで、初めての人と相対するときは肩書でなくお話しする内容で人となりを判断するように心がけています。
また、ロールズの「格差原理」の考え方も共感する立場であり正しい考えなのかなと思っています。